万年発情期だったウサギのオナ禁の記録

オナ禁はもういいから「さらにその先へ」行きたいウサギ野郎の雑記。毎日更新は断念。

【オナ禁162日目】エロ禁で人が変わるために大事な「2つの要素」

エロ禁で人が変わるために大事な「2つの要素」

おはようございます。

休みの日ほど早く目が覚める人、ゆきとです。

 

安心して10時間は寝たいというのに・・・

 

162日目の経過報告です。

 

年始から調子が上がったり下がったり

人の体は面白いなぁと思っているんですが。

 

上がった時と下がった時を比べてみると

上手くいっていると感じる時というのは

大体というか、やっぱりパターンが決まっています。

 

しばらく真面目な記事を書かないつもりでしたが

思いついてしまったので書いときます 笑

 

 

我慢ではなく、「必要かどうか」。

 

例えばなんですが、

めちゃくちゃ美味しそうなケーキがあったとします。

 

しかしその日はすでに

結構な量の食事を摂っていて、

ケーキまで食べれば明らかに食べすぎです。

 

ここであなたは「食べない」という判断をしました。

間違いなく英断です。

 

しかしこの時に

・食べることを我慢する

・不要だから食べない

どちらに捉えているか

その人が今どのくらいイケてる男か変わってきます。

 

イケてる時というのは間違いなく後者です。

自分に必要なことをきちんと自分で選択しています。

 

前者の場合は食べることが前提になっているので

まだ自分で自分の事を決められていません。

 

禁欲中に余裕が持てていないと

大体前者の考え方になります。

 

この場合の余裕というのは

「節制的な行動」をとれているかどうかという意味で、

それがまだ身についていないということです。

(今できていても油断するとすぐ守れなくなりますが)

 

食べ物に限った話じゃないですがイケてる時は

自分が成長できる選択を常にしている実感

があるんですよね。

 

ほんとに調子に乗り始めると

「俺めっちゃ輝いてるわ!!」

って四六時中思ってる(ガチな話

 

まとめると

「何かを決める時、自分で選んでいる感覚を持つ」

といった所です。

 

 

精神的な余裕

 

自制ができて、精神的な余裕まで得たら

ある意味でエロ禁のゴールです。

 

あとは普通に生活してるだけで

酒池肉林が待っているでしょう(言いすぎ

 

さて本題に入りましょうか。

 

「オナ禁すると精神的に余裕が出ます!!」

というのはよく聞くと思います。

 

正確には余裕が出るというか、

「元が酷かったのが安定するようになる」が正解。

 

問題はそこから上に行きたい。

本当に精神的な余裕を得たい場合です。

 

こうなってくると話が変わってきます。

精神的な余裕を手に入れるにはゆきとの経験上

・ストレスのほぼ完全な排除

・健全な生活

・1日に10分程度の瞑想

この3つが必ず必要になると思っています。

 

イケてる時は意図したかどうかに関係なく、

ほぼ全てを満たしています。

 

不思議なもので、

頑張って全部満たそうとしてる時ほど

全部中途半端になりがちなんです。

 

なので、精神的な余裕がある状態というのは

「頑張らずに上に書いた条件が満たせる時」

とも言えます。

 

エロ禁そのものを無意識にすることは

慣れたらほとんどの人ができますが、

この「精神的な余裕」というのは

その人の置かれた環境にもよるので

意識して改善しないと変える事ができません。

 

例えば「1日13時間働いてます!」という人に

仕事をやめろ、と言ってもすぐには無理です。

 

ですが、抱えている問題を

自分で1つずつ解決していかなければ

変わることなく人生が終わるでしょう。

 

まとめると

「頑張らずに頑張れる環境を作れ」

ということです(投げやり

 

いや改めて思いましたがほんと文字通りの意味です。

 

 

振り返ってみて思った

 

日常に組み込んでるエロ禁のあれこれ。

これを呼吸と同じくらいになるまで続ける。

 

健康的な生活が当たり前になるまで馴染ませる。

 

これが唯一思いつく対策でしょうか。

いや、対策とか言ってる時点で(ry

 

でもこれぐらいじゃないと

禁欲自体が当たり前の風景になるのは難しい。

 

ともかく、続ける事が大事と言われる所以は

年末年始で再確認できた気がします。

 

日常の一部にならないとゆきとのように

上がったり下がったりを繰り返すことになります。

 

できればほとんどの人は効果を安定させたいはずです。

 

自制をしている男のかっこよさというものは

使い込んだ道具のように

少しづつにじみ出てくるものなんでしょうね。

 

まだまだ自分は詰めが甘いなーと考えさせられました。

 

 

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