万年発情期だったウサギのオナ禁の記録

オナ禁はもういいから「さらにその先へ」行きたいウサギ野郎の雑記。毎日更新は断念。

強い男になるための「挑戦で躓かない」考え方

強い男になるための「挑戦で躓かない」考え方

おはようございます。

逃げたい事ほど逃げられない、ゆきとです。

 

どうしても避けられない事というのは

どんなに逃げたつもりでいても、

どこかで再び遭遇します。

 

「いいからやれ」と言わんばかりに 笑

 

そしていつか必ずどこかで

正面から対峙する事になるのです。

 

だから最初から逃げなくていいようになりたい、と

ゆきとは言っているわけです。

 

ただ、一度逃げたからこそ気付けることもあります。

逃げることも、立ち向かうことも、

ある意味どっちも正解なんだと今では思っています。


今日は「達成することが成功ではない」という話。

 

 

 

 

 

わかっていても嫌なものは嫌なのが人

 

何かで成功したい時、

そのためには少なからず継続が必要になります。

 

人間はそんなに頭が良くないので

1回で習熟できるようなことはまずないためです。

 

そして繰り返し実行することで

考えてるだけでは気付かなかった事や、

なんか思ってたより効果が薄いとか、

そういったリアルな体験を通して自分の物にしていきます。


よく考えれば当たり前の事なんですが

学生時代のゆきとはやっぱりここを自覚していなかったようで、

何かを長期間続ける事は少なかったです。

 

正確には自分で興味を持ったものは

一定の期間、目に見えて成果が出るまで

やめたことはありませんが、

それを繰り返しているうちにある事に気付いてしまいました。

 

それが
「大体の事は最初の成果が出た辺りで苦行に変わる」。


これです。

そこから先の修練は

結果に対して苦労が見合わない場合が多く、

もっと酷いと楽しくもなくなってきます。

 

言ってみれば「コスパが悪い」。

 

何をやっても大体ここに行き着いてしまうので

興味だけで続けるのが億劫になり、

手当たり次第に挑戦するのはやめました。

 

しかしだからといって

コスパが悪いからとやめているようでは

何かを極めるところまでいくのは夢のまた夢。

 

こんな感じでゆきと含め、多くの人が

この探す段階で躓くことが多いのです。

 

余談ですが「好きな事以外極めるのは無理だな」と悟ったのは
これに気づいた時です 笑

 

 

何事も一区切りできる「目印」がある

 

正直ちょっと興味があるだけのことなら

それでもいいと思います。

飽きるまでやるくらいの方が精神衛生上よいですし。

 

ただ、オナ禁みたいに

「ちょっと本気でやった方がいい」みたいな場合なら

よく考えるべきです。


歳食った今だからこそ言えますが、

続けるほど苦行なのは

その人が大きく成長したからで、

より高度な技術を本人が求めている」からです。

 

より上手くなりたいと思うのは自然な事で、

そのためにしいことをやりたくなるのもそうです。

 


そしてもう一つ。

「苦行というのは苦しいだけじゃなく目印でもある」

からです。

 

難易度が上がった時って体感でわかると思いますが、

そこを超えた時は大体新しい世界が見えます。

 

いわゆる

「できるようになった人だけがわかる世界というものです。

 

それが見えた瞬間というのは一気に視野が広がって

さらに興味をそそられる、さらにしい事」が増えます。

 

ゆきともこれまで運動なりオナ禁なり色々やってきてますが

そのどれもがある日を境に劇的に目の前の世界を変えました。

 

だから最近は苦行だと感じたものは

次のステージが近いことを示す

目印

と思うようになりました。

 

 

「嫌だけどやりたいこと」に立ち向かう人の思考

 

辛い状況=ゴールが近い

 

この考え方ができるようになってから、

試行錯誤は「周回ゲーム」みたいなものになりました。

 

確かに失敗したらやり直したり面倒ではありますが

そればかりじゃありません。

 

一度上手くいってる事をやるのは簡単です。

そこにはサクサクと進めていく爽快感もありますが、

本当に気持ちがいいのは

苦労したことを今は片手間でやってる自分」

頼もしいと感じられることです。

 


発明王であるトーマス・エジソンの名言に

「私は失敗した事がない。ただ、1万通りの上手くいかない方法を見つけただけだ」というものがあります。

 

失敗ではなく「勉強した」という考え方です。

 

この考え方は昨今てきとーに氾濫している

「ポジティブシンキング」の正しい使い方だと思います。

 

実際彼の通りで、できない方法を覚えたら

わざわざそれを再び使うことはありませんよね。


この名言のとおり、
最初の挑戦で乗り越えられなくても
挑戦し続ける事で越えられます。
しかしいつかはわかりません。

 

再挑戦が遠回りになることだってもちろんあります。

 

それでも挑戦「し続ける」しかないというのが

苦行が苦行たる所以でしょう。

 

しかし何かを達成した時に嬉しいのは

単純に達成したからではなく、

「達成までにこれだけ頑張ったんだぞ!!」という

それまで「挑戦し続けた経験によるところが大きいです。

 

だからこそ成功まで続けた努力は

結果の一部とも言えるんです。

 

ちょっとしたことに嬉しさを感じにくいのと

同じ理屈だと個人的には思っています。

(だからこそそれを感じる事ができる人は生きる事に真剣)

 

 

挑戦は「結果の一部」

 

結果というのは9割くらい挑戦の道のり」であって

上手くいったから嬉しい」だけではないという事が

伝わっていれば嬉しいです。

 

積み重ねたものあっての結果です。

 

今頑張っている事そのもの結果でもあり、

それを放棄すれば結果が得られないのは

ある意味で当然でもあるんです。


そう思えばちょっとは続ける気も起きてきませんか? 笑