万年発情期だったウサギのオナ禁の記録

オナ禁はもういいから「さらにその先へ」行きたいウサギ野郎の雑記。毎日更新は断念。

強い男というのは「動物的ではない男」の事

強い男というのは「動物的ではない男」の事

おはようございます。

強い男でありたい、ゆきとです。

 

最近ゆきとが考えているメインテーマ。

 

これは腕っ節とかの話ではなく

心身ともに健全である男」という意味です。

 

もちろん腕っ節を鍛えることでも健全になるので

それが好きな方は一石二鳥でいいと思います。

 

この心身のうち、身体はなんとかなりやすいですが

の方は経験上そう上手くはいきません。

 

まぁそこを楽しめるかどうかも

強い男の条件なのかもしれませんが 笑

 

ともかく自分の中でも未だふわっとしている

「強い男」について少し考えがまとまってきたので

書いてみようかと思います。


今日は「思考的であり、本能的でもありたい」という話。

 

 

 

 

 

ゆきとは「どんな男」になりたいのか

 

昨年の春のお話です。

 

記事を書いていたある日、違和感を覚えました。

自分がすごく重要な事を見落としてる感覚です。

 

これは昔から度々あって、

自分の考え方が劇的に変わる瞬間でもあります。

恐らくここまでの積み重ねで脳みそは何か気付いたんでしょう。

本人はまだ自覚してませんが。

 

その後、気付いたのは

「別に継続は大事ではない」

「テストステロンは割と欠陥だらけ」

の2つ。

 

詳しくは今回直接関係ないので別の機会にしますが、
やっぱり大きな転換期だったのは言うまでもありません。


昔から言っていますが、

オナ禁自体にはテストステロンを増加させる効果はないです。

(元に戻すという意味では増えてますが)

 

やっぱり実際に頑張ってるのは自分であって、

オナ禁が頑張ってくれるわけじゃない。

そう考えると成功するのは自分が強くなったからであり

オナ禁はただの要因の一つでしかありません。

 

この辺りから

「オナ禁は頑張らなくていい」という意味に気付いて

適当にやるようになりました。


そしてそこから出した結論が

自分が本当にやるべき事

強くなること」だったということです。


しかしわかったはいいものの

その「強さ」が何か、あまりに漠然としすぎていました。

 

 

その人なりの「強さ」

 

強さの定義は人それぞれ全く違っていて、

自分のなりたい未来像

によるところが大きいです。

 

例えば

社会的に成功する強さ」と

人のために身体を張れる強さ」は

似ているけれど違う事がわかると思います。

 

しかしどちらも人の持っている強さの一つに違いない。

他にも色んな人間の強さというものが存在します。

 

この方向性の異なる強さ人の魅力であり、

他人を惹きつけたり、必要とされるもので、

人と人の繋がりを生むものと考えています。


これは先日の記事で話した

「上手くいく時の傾向の話で、

その人の得手、不得手がそのまま

「その人の未来につながりやすい」理由でもあります。

 

とにかく多種多様すぎるので、

今回は「ゆきとの考える強い男」を例に

目指したい強さがどんなものか書こうと思います。

 

 

思考と感覚

 

そのゆきとが考える強い男は

「思考と感覚をバランスよく使える男」です。

 

注意なんですが、これは2019/6/24現在の考えです。

恐らくこの先もっと変わっていくと思います。

「適度にロジカルで、適度にバカ」とも言います 笑

 


人間には理性があります。

これがあるから

やって良いこと、悪いことの区別ができていますし、

自分に必要な事を選択して生きていけます。

 

逆に、理性があるおかげで冒険できない事もあります。

リスクを考えてしまいやすいからですね。

 


そして理性の対極にあるのが「感覚」です。

 

理由はない、なんとなく。
でも上手くいく予感しかしない

 

こういった経験、誰しも一度はあると思います。

動物が災害を察知して、事前に避難するような感覚

 

この「虫の知らせ」的な感覚は

人にももちろん必要なものです。

 

ですが、こればっかりに頼ると痛い目を見ます。

代表的なのは「多分なんとかなる」でしょう。

大体何とかなりませんよね 笑

 

この2つが混在している状態で生きているのが

「人間」という生き物です。

その時々で考えるか、なんとなく行動するか決め、

いろんな事を経験します。

 


ところで皆さんこんな経験ありませんか?

「やっぱり○○しておけばよかった・・・!」

みたいな選択を間違えたと思う後悔

 

当然あると思います。もちろんゆきともです。

 

こういった後悔は

何も考えないでやってみるべきだった

・もっとよく考えたり相談するべきだった

のどちらかに当てはまります。

 

言い方を変えれば

前者は感覚に動けばよかった。

後者は合理に動けばよかった。

という言い方もできますね。

 

実は人の行動って本当にシンプルで

考えて動く」

で動く」のどっちかしかありません。

(「動かない」も含めば一応3つありますが)

 

考えて動いた方がいい時は腰を落ち着けて取り組み、

動いた方が早い時は何も考えずに取り組む。

 

ここがもっと理解できるようになれば

人生面白くなるんじゃないかと思っています。

 

 

両方の調和を目指すのが今の目標

 

ということを最近考えています。

 

考えて動くだけではダメで、

直感で動くだけでもダメ

 

なぜならそれは

動物でもできること」だからです。

 

動物には基本知性はありません。

目の前で起こったことに反射で対応します。

 

しかしわざわざ人に理性感覚という

2つの能力があるという事は

きっと両方とも必要だからなのだと思います。

 

なのでどちらにも振り回されず、

両方バランス良く使いこなせた時

「何かが変わるんじゃないか」

とゆきとは勝手に思っているわけです。

 


今一通り書いてから読み直しましたが、

考えがまだ浅いですね 笑

 

最後のところふわっとしてるのは

まだ結論が出ていないためです。ごめんなさい。

 

もっと直接的に言いたい部分があるんですが

そこはまだ考えがまとまっていないです。

 

今は
「表面的にはこういう風な事をしたいと思ってる」

という感じで覚えといてもらえれば。


まだまだ未熟だなぁと

書きながら実感する内容となりました。頑張ろう。